思惟日記

日々考えたことの記録。

就職活動における自己分析が抱える根本的矛盾

自己分析という虚構

 かつて就職活動をした時、自己分析と称した「自分が何をやりたいのか」を洗い出す作業をさせられた記憶がある。自らの性格や過去の経験を振り返っていくと「自分が真にしたいこと」を発見できる、とのことだった。

 自分はこうした自己分析は時に判断を誤らせる要因であると感じている。なぜなら、被雇用者になるということは、「賃金を頂く代わりに労働という対価を提供する」契約関係に入るということであり、基本的に被雇用者に仕事内容を選り好みする自由はないからだ。

 

被雇用者という立場

 無論、自分で自分の道は選択すべきだ。学生時代の専攻や経験に基づき、就職先の企業を選択していく権利もある。何より待遇を精査した上で就職するのは当然のことだ。

 問題なのは、自分の仕事内容を自分で選択できると錯覚することだ仕事内容を選り好みできるのは自営業者や経営者などであって、本来、被雇用者は自分の仕事内容を選り好みできる立場ではない。そのため、就職活動において「自分のしたいこと」を考えること自体がそもそも矛盾しているのである。

 最近の会社は良い雇用関係の成立が会社の利益に必要な要素である事を熟知しているので希望が叶えられる事が多いが、本来は被雇用者に選択の権利などなく、命じられれば直ちに実行するのが被雇用者の本来の姿だ。

 実際に就職すれば、当然、被雇用者は望まぬ仕事であろうと望む仕事であろうと、誠実かつ全力で実行する義務が生じる。それができないのなら、フリーランスとして生きていくか、起業するしかない。

 

良い雇用契約の成立の為に

 雇用者側の利益と被雇用者側の利益が合致した時に初めて良い雇用関係は成立する。「自分は何がしたいか」ありきで就職活動をするのは、根本的に相手の目線を欠いた自分本位の就職活動でしかない。運良く採用されたとしても、雇用後の会社生活において自らの望まぬ仕事に異動させられた時に不満が鬱積するのは確実だ。

 雇用契約の成立において、真に重要なのは、「自分のセールスポイントはなにか」だ。「自分のしたいこと」という自分本位の選択ではなく、雇用者側の利益をも考慮して行動することが結果的に良い雇用関係の成立に導いてくれるだろう。

 相手の事を考えて行動することが結果的に自分の利益を最大化することが人間社会においては往往にしてあるのである。